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2012年5月3日木曜日

異国で、友の死に立ち会う

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頼りになるハッスル兄貴が5月1日の未明に旅立った。
海外生活のストレスで「パリ症候群」? で書いた、パートナーの幼馴染である。

あまりにも突然の訃報だった。
比較的元気そうな様子だったので、まだ現実として受け入れることができないでいる。
認めたくないから涙もでない。

どうしても信じられないのだ。
逝ってしまう8時間前、彼と強くしっかりと手を握ったのである。まもなく臨終という人に、あれほどの握力があるものなのか・・・必ず持ちこたえてくれると思っていた。


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まずいかもと聞いてから、たった半日の出来事だった。
4月30日のクィーンズディー、夕食を終えてから家の近所の屋外コンサートに行った。その場で知人の携帯に家族から連絡がはいり、あわただしく家族たちが病院にかけつけていった。

その場に残った友人たちはハラハラしながら祈ることしかできないでいた。泣き出す人もでてきた。ドンよりとカフェに座りながら、もう家に帰ろうと立ち上がった瞬間、先にかけつけていた友人たちが車で病院から戻ってきた。

今すぐお別れに行けという・・・
半時間後、私たちは彼の病室にいた。

酸素吸入器をつけて意識も朦朧とし、モルヒネを打ちながら激痛と戦っているのに、私とパートナーをみて、いつものようにニヤリとしながら、こちらを労わる言葉をかけてくれた。こんな場にありながら・・・


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ハッスル兄貴は、来週から、ギリシアのクレタ島に行くため、飛行機を予約していた。
クレタ島をこよなく愛して、15年以上通い続けていて第二の故郷だった。家族とも言えるギリシア人の友人たちがたくさんいて、あちらで彼を待っている人もたくさんいる。たっての希望だったのに、たった10日違いでかなわいでしまった。


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お葬式の案内状の写真は、南国ハイビスカス色の赤地にブルーと白の花柄模様のブラウスを着て全開で笑っているものだ。「なんだそのハワイアンシャツは?」と皆から茶化されながらも、「俺様のスタイルだから」と気にも留めず、マイペースをつらぬいていた。昨夏、クレタ島のバカンスから戻ってきたばかりでコーヒー色に日焼けしている。メッセージ欄には、花と鳥のイラストが配されて 何か楽しげな雰囲気。知らない人がみたら、祝い事の案内状と思うだろう。

案内状を作成した近しい友人たちは言う、本人はメソメソしたことが大嫌いなのだ。


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彼が逝ったころ、雷鳴が大音響でとどろいた。
未明だったので多くの人が目を覚ましたようだ(いつも私は敏感なのに、今回まったく気づかず)後から時刻を聞いて「彼からの合図だったんだね」って、多くの友人たちが思ったようだ。オランダ人もけっこうスピリチュアルな人が多い。特に私の周囲にはスピリチュアル系が集まっている気がする。


異国での親しい人の死はやっぱりきつい。
死から一番遠そうな生命感に満ち溢れた人が逝くということは、あってはならないことだと、自分の感情と思考がはねつけてしまう。友というより、やんちゃなお兄ちゃんという感じだったからなおさらだ。




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