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2012年12月3日月曜日

母の訃報を海外で受ける

11月半ば、母が急死した。

夕食の支度を終えたところに、パートナーが父からの国際電話を受けた。
一度も電話がかかってきたことがないので「珍しいことがあるものだ」と思っていると、

「大変なことになった」
「え? どうしたん?なに?」

「お母さんが倒れた」

動揺したものの、てっきり病院に運び込まれたのだと考え
「いま、お母さんはどこ?どんな状態?」と尋ねた。

「いや、それが・・・・。いつ帰ってくる?」

「それよりも、どんな状態なん? どうなってるの?」

父親の説明はちっとも要領を得ない。
相当、緊迫していて意識不明で、最悪、危篤なのかもしれないと思いを巡らせる。
と・・・

「それがやなぁ、あかんかった」

「はぁ?」

「間に合わへんかった」

「え?」 

「・・・・亡くなった」

「・・・・・・・」

「葬式の手配があるので、いつの便で戻れるか至急知らせてほしい」

訃報を受けた日、オランダの家は引越しの真っ最中で、新居に家族総出でフローリングの床をはっているような状況だった。古い家は引越し用の梱包段ボールで混乱している。本当は、この夏に自動車免許の更新で帰国する必要があったのだが、ビザ更新、オランダ語検定試験、引越しで、どうしても日本に戻ることができなかった。

家は解約をしてしまっているので、11月末までに、あけわたさなければならない。あわてて、とりあえずの貴重品や書籍類をパッキングする。そんな状態なので、パートナーもオランダに残らなければならない。

「引越しがなければ僕も一緒に行ってあげれるのに・・・」

報せを受けてから1昼夜半、ご飯を食べるのも忘れ、寝ることもできず、黙々とフライト手配、パッキング作業と銀行、関係先への通知などの手続きをして時が過ぎた。

ひとりで飛行機に飛び乗り、お通夜の数時間前になんとか間に合ったものの、睡眠も取れていなかったし、何がなんだかわからないままであり、ところどころ記憶がとんでいる。

機中では、奇跡がおこることをひたすら祈り続けた。
でも、私が戻ったら目を覚ましてくれるのではないかという願いはかなわなかった。

今、母の生活がそのまま止まった状態をたった一人で片付けている。やってもやってもキリがない。弟夫婦はいるが、仕事に子育てに忙しいという。

父も高齢で要介護ギリギリである。その父も昨年、薬害で危ない状態だった。父も母も一人っ子で親戚がほとんどいないので、相談したり手伝ってもらえる人は誰もいない。

昨夏、オランダに戻る前に、母方の祖父母の家屋の解体を手伝い、古いアルバムなどが大量にでてきたので、いちど家族会議をしようと何度も提案したのだけど、それもかなわなかった。

片付けものをしながら「これは、わからないから、あとでお母さんに聞こう」と何度も思ってしまい、現実にひきもどされるありさまだ。

バカみたいだけど、母は旅行中か何かで、今ここにいないだけ・・・

頭ではわかっているけど、心が現実を直視できない。法要にきてくださる和尚さんが、心の準備がないまま親族の死に直面すると、どうしても喪の期間が長くなってしまうだろうとおっしゃっていた。

今のところオランダに帰れる目処は皆目みえずである。

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