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2012年11月7日水曜日

岸惠子さんの人種差別体験

女優の岸恵子さんのインタビュー記事が目をひいたのでご紹介。
彼女が結婚したころのフランスなら、差別はもっとあからさまだったかもしれないなぁ。プロペラ機で片道50時間、インターネットはおろか白黒テレビがやっとある時代、情報もほとんどなく東洋人はまだまだ少なく地球の裏側からやってきた未知の生物であったことだろう。

今ですらちょっと田舎にはいるとアジア人は珍しいようだし。
数年前、メジャー観光ルートから離れた村のお祭りにいったとき、隣にたっていた高校生くらいの子たちが「中国人がいる、中国人がいる」と固まったままヒソヒソささやきながら、横目でジロジロ私のことを見ていた。この件に限らず、自分がパンダになったような視線は 毎日ではないけど なきにしもあらずである。

ま、うちのパートナーも日本にきたとき「外人さん・・・」ヒソヒソ・・・と同じ経験をしているので、お互いさまかもしれない。この程度のことは差別とはいえなくて、不躾というだけなんだけどね。


岸恵子さんのインタビュー(足についての誤解)

詳しくは以下をクリック
http://www.asakyu.com/column/?id=1058
http://www.asakyu.com/column/

日本に住むかぎり、人種差別を体験することは少ないと思いますが、人格を否定されるようなその屈辱に、私はかなり傷つき、同時に、西欧の社会に深々と横たわっているらしい差別や宗教観を捉えてみたくなりました。
(中略)
私の混乱を見て夫がこう言いました。「見てしまった人は、見なかった前に戻ることはできない
TEXEL島の灯台

現在は、いちおう建前として「差別は駄目」という教育や人権団体の監視の目はあるけど、民族大移動の時代、異文化同士の接触も多くなり、差別はなくなるどころか、ますます、複雑化し、頻発している気がする。ヨーロッパに限らず、日本でもとぐろを巻いて存在することは、悲しいけど自明の理。

ヨーロッパでの移民問題のいったんは「コミュニケーションのない接触」なのである。接触は多くても、そこに共通言語がないのだ。かろうじて英語やオランダ語で会話をしていても、お互いの文化背景を知らない会話はどこまで通じ合っているのだろう。それに差別や偏見といっても、有色人種、ユダヤ人、イスラム教徒の問題・・と簡単にカテゴリー化できるほど単純なものでもない。

私は岸惠子さんのように、いきなり目覚めたわけではなく、澱のようにたまっていた「?」な体験が「あー、そういうことだったのか」と、以前にもまして形をとりはじめているといったところか。

そう、見てしまった人は見なかった前に戻ることはできないのだ・・・・。
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