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2011年11月15日火曜日

回答がない練習問題をこなす空しさ

授業で配られるプリント練習問題の回答がないのが、なんともうっとうしい。数をこなして、どんどんパターンを覚えていきたいのに、回答がどこにもないのだ。いちいち先生に聞けという。

とりわけ前の学校では先生がしょっちゅう変わった。


先生にチェックをお願いしても、次にいつその先生に会うのかわからない。チェックしたものが手元に戻るのは1ヶ月も2ヶ月もたったころ。私の記憶もとんでいて いまさら・・・なのだ。

また多くの先生が、うすい鉛筆や黒のボールペンで遠慮がちにチョンをつけるだけなので、どこが間違っているのかわからない。赤ペンでどんどん正解を書いてほしいのに・・・。

今の学校の先生になってようやく丁寧にチェックをいれてくれるようになった。でもやっぱり遠慮がち。赤ペンで大きく印をいれてほしいと何回か言って、そうしてくれるようになったけど、これも文化の違いなのか?


サイコーにバカらしい答え合わせの仕方は、クラスメイトと答えについて論議しろというもの。
オープンエンドの質問ではなく、単純な文法問題でこのありさまだ。
級友の質もバラバラで、アルファベットを書くこともおぼつかないような人や、手紙と新聞と広告の区別もつかないような人たちも混じっている。そんな人たちと回答をダラダラと論議する空しさよ。
で、結局 最後まで正しい答えはわからないまま。

「答えはひとつ。何をいまさらディスカスするんだい?」
と思うんだけど、おおかたが去勢されたようにおとなしくて、先生の言うなり。あきらめが先立つのか、先生に意見するなんて大それたことと思う文化の人たちなのか、よくわからない。

ただでさえ頭がごちゃごちゃになっているのに、こんな授業の進め方で、ますます正しいオランダ語が遠のきました。


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